紅茶の文化 – 生い立ち


アッサム茶摘み ©Diganta Talukdar

 

紅茶の生まれは中国です。なのに、紅茶文化はヨーロッパです生まれ、東アジアに伝わってきました。中国では「チャ」といわれるものが、船でイギリスにわたると「ティー」となり、フランスで「テ」ドイツで「テー」、ロシアでは「チャイ」となりました。

最初にヨーロッパに伝わったのは緑茶で、1610年とのことです。ヨーロッパではコーヒーが先に広まりアフリカに植民地を持つフランスの独占貿易でした。しかし、イギリスでは、国による慣習への強制力が家庭にも紅茶を浸透させました。その結果、イギリスでの紅茶文化が発展したのです。17世紀には、中国から茶の直輸入が始まり、19世紀にはイギリスの植民地であるインドのアッサム地方で、自生の茶樹が発見され、さらに紅茶文化の発展を促しました。

1711年頃から約1世紀の間、イギリスの財政は紅茶の税金で賄われるほどで、その税率も125~200%までととんでもない高税率でした。しかし、その高い税率に民衆が納得するわけが無く、密輸や暴動まで起こり、アメリカのイギリスからの独立が紅茶の高い税率からのトラブルが原因だったともいわれています。

日本の紅茶文化は1887年に紅茶が初めて輸入されて始まりました。その後1906年に明治屋がリプトン紅茶を初めて輸入して販売しました。また、国内でも紅茶が製造されており、明治政府の奨励の元で1927年に三井紅茶(現在の日東紅茶)から販売されましたが、その後人件費の向上などの理由から1917年に紅茶の輸入自由化も伴い製造が打ち切られました。

現在、イギリス人の年間一人当たりの紅茶消費量は約2.6Kg。以前よりは減少傾向にありますが、これでも80%のイギリス人が、毎日平均5~6杯の紅茶を飲んでいるという計算になるそうです。一方、日本人は年間一人当たり約100g強で、イギリス人の約25分の1です。

茶は中国から各地へと伝わり、世界のどこでも茶はとても似た名前で呼ばれています。これら各言語の呼び名は、茶を表す広東語の”cha”あるいは福建語の”tay”のどちらかの流れをくんでいます。広東語に近い呼び名で呼んでいる国々は歴史的に茶と関わっているところが多く、福建語に近い呼び名で呼んでいる国々はインドネシア経由で茶が伝わったのが特徴です。

 


2014-05-10 | Posted in 紅茶の文化Comments Closed 

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